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会員コラム

【Vol.109】ワタナベジョブズ・渡辺 幸生さん、シニア・シルバー世代が抱く「老朽化基幹系システム刷新」への思い

JDMC会員による「リレーコラム」。
メンバーの皆さんそれぞれの経験・知見・想いをリレー形式でつなげていきます。
今回、バトンを受け取ったのは、株式会社ワタナベジョブズ・渡辺 幸生さんです。


皆さんこんにちは。この7月に入会した株式会社ワタナベジョブズ 代表取締役の渡辺幸生です。

昨年、還暦を迎えて大手製造業を定年退職し、妻と立ち上げた会社の代表取締役に就任しました。事業内容は、妻が主体の「障害児福祉・教育事業」と私の「IT/DX関連事業」の二本立てです。

私は、前職ではIT関連の仕事(システム開発、導入、運用、保守)を主に業務部門で手掛けておりました。今年20歳になった一番下の子が重度障害でして、仕事と家庭の両立を考えた場合、パソコンとネット環境があれば場所、時間に捉われない「IT関連の仕事」で最後まで務めることができる前職の会社とITの仕事に感謝しております。

このようなことから、今までの経験が少しでもお役に立てばという思いで「IT/DX関連事業」を会社の一つの柱としています。

特に前職のような大手老舗製造業のような企業では、メインフレームコンピュータ利用が始まった1960年代からのシステムが、いまだに基幹系システムの一角を占めているケースが少なくありません。私自身、それによって現場で多くの問題を体験したこともあり、シニア世代として何か貢献できないか考えていました。

そして、これら業務やシステムの要は「データマネージメント」であると確信していたところJDMCと出会い、このレガシー基幹系システムの「2025年の崖」問題を回避するためにできることを少しでも学びたい思いです。今回のコラムでは、自己紹介ということで、シニアらしく(?)コンピュータとの付き合いの変遷を少しお話しさせてください。

1. コンピュータとの出会い

いわゆる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代、まだPCが世に出る前の「キーパンチャー*1」という職業が存在していたころ、理系学生生活を送っていた私は、最初のプログラム作成を経験しました。

当時は、紙のカードやテープに穴を開けマシン語やアセンブラ言語のプログラミングで、その後FORTRAN、COBOL、PASCAL、PL/1も経験しましたが、入出が紙ベース、一台のコンソールディスプレイ付端末を順番待ちで使うなど、UIは今から考えると劣悪の極みでした。ですから、学生時代の大半は、「出来るだけコンピュータからは離れたい」との思いが強かったものです。

しかし卒業間近な頃、パソコンに触れる機会があり、紙や磁気テープを持ち運び、コンソール端末へ移動する……といった肉体労働的作業から解放され、指示をすればすぐに結果が出力されるという、パーソナルな知的サポートマシンとしての可能性を感じるなど、パソコンの将来性に大いに感激しました。

しかし、現実の世の中のコンピュータシステムは、UIの悪いメインフレーム、その小型のオフコンが主流であり、あまり魅力は感じられませんでした。私は今で言う「ディープラーニング」のニューラルネットワークを使ったパターン認識のシミュレーションを卒業研究でするも、AIの実用化はまだ何十年も先だろうと肌で実感したので、仕事としては当面コンピュータとは距離を置こうと考え、一般の製造業へ就職しました。

2. 仕事の中でのコンピュータ〜システム刷新はデータマネージメントから

製造業に就職したのは1980年代の初めごろでしたが、すでに業務のシステム化は必須の事項でした。

私はシステム関連の部署に配属され、業務ではメインフレームやパソコンなどで新規開発や変更保守を行っていました。当時はエンタープライズシステムの概念もなく、業務部門、関連子会社の中で「部分最適化」のようなことをしていたのです。

全国の現場に直接入り込んでの、システム開発・支援なので、良いシステムならばダイレクトに喜んでもらい、それがうれしくもありました。

しかし、冒頭で述べたように、家族の都合で在宅での時間が多く必要になり、仕事と家庭の両立を考えた場合、IT系の仕事なら在宅勤務などと相性がよいため、よりITに特化した基幹系のメインフレーム関連ならば、当面の安定的な業務ニーズがあると考え、業務を変更しました。

基幹系のメインフレームシステムは、想像していたようにブラックボックス化し使いづらく、何が起こっているかがすぐに分からないなど問題が満載なので、まずはデータの見える化、データ分析基盤の構築をしていきました。

このとき、データモデリングの手法を外部コンサルさんから学ぶ機会を得ました。データマネージメントの重要性を理解する有意義な経験だったと思っています。そして、このデータモデリング、データ分析基盤構築の先は、本命の40年以上使っている老朽化基幹系システム刷新。かなりの難題で努力はしましたが、ここで残念ながら退職です。

この難題の解決は、業務、システムの両面での具体的なリスク、問題、課題を明確にした上で、この国の産業全体を俯瞰した今とは違う業務が描け、経営トップがそれを理解実行するかがカギになると思います。

3. 予想外に進んだ技術革新、「生きている間は無理」と思っていたAIの実用化へ

私は80年代初期にパソコンに触れ、世の中(個人の生活、社会)を大きく変え得る道具となるだろうと確信しました。そして、それから約10年後、東西冷戦が終結するという予想外の展開、それとともにインターネットが解放され、劇的な情報革命に遭遇。毎月何万円もかかる通信代で300bps、2400bpsでパソコン通信し、文字のやりとりだけで感動していたころの思い出が、もう化石になってしまったような感じです。

さらにこのインターネット革命から約30年が経ち、AI技術が発達して「ChatGPT」が登場。40年前にニューラルネットワークでパターン認識のシミュレーション実験をしていたころ、AIの実用化は生きている間は無理だろうと思っていました。せいぜい画像認識(顔認証は無理)ぐらいではないかと。

私がこの現役時代に起きた予想外の発展(インターネット、生成AI)で、過去のIT資産を持たない後進国やスタートアップ・中小零細企業が、いきなり最新のIT/DXでビジネスの中心に躍り出るリープフロッグ現象が起き、産業革命かさらにそれ以上に社会が変わりそうです。

しかし、我が国の現実は行政府、老舗大企業などは既存システム、既得権益のしがらみでなどでDXに頓挫している様相で歯がゆい思いです。

4. 「失われた30年」*2 からの脱却への『道程』*3

ChatGPTをはじめとする生成AIの登場により、これまでにも増して、大きく社会、産業の変革が求められている現在、企業の経済活動を支えるべく基幹系システムが古いままでよいのか。変革要求に対応出来ず「失われた30年」が更に延長か、滅びるか。

この懸念を払拭すべく、老朽化基幹システム刷新への「道程」を昔のコンピュータを知る最後の世代として残りの人生、少しでもよい方向へと歩んでいきたい思いです。肝は経営トップへどう腹落ちさせるか、ここはシニア・シルバー世代の人脈、経験を生かしていきたいです。

私と同世代の元マイクロソフトエンジニアの中島聡さん*4 のように、大変革の今をエキサイティングに生きたいですね。 そして、我が社のもう一つの妻の事業の「発達障害児福祉学習」においても、生成AIの登場で、教育のあり方や社会へ出てからの働き方が大きな転換期を迎えたと考えています。未来のある子どもたちが方向を見失わないよう、このJDMCで生成AIの活用事例、可能性なども学びたいと思っています。皆さん、よろしくお願いいたします。

【注】
*1:キーパンチャー
寅さん映画第一作(1969年公開)の寅さんの妹さくらさんの職業。彼女は大手町あたりに本社がある総合電機メーカ勤務で当時の先端OL。

*2:『失われた30年』
1990年代初頭のバブル経済崩壊から現在に至るまでの低成長時代。一番の原因は、日本では何もしないでも、社会、経済がそこそこ安定しているおり、大きな変革を先送りしていたため。その結果、気が付けば先進国下位クラスへ転落。~未来予測士ユーチューバー 友村氏より
老朽化基幹系システム刷新もこれと同じ構造、気が付けば『2025年の崖』へ転落か。

*3:『道程』(詩人 高村光太郎作)
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる

*4:中島聡(元マイクロソフトエンジニア)さんの弁
ChatGPTの登場は多分3回目の大変革です。初めてパソコンをいじった時の感動。それから、初めてインターネットに出会った時の感動。それと同じくらいのインパクトがあります。エンジニアの直感として、パソコンの誕生とかインターネットの誕生並みの大きさのインパクトだなとひしひしと感じていて、もう興奮してしょうがないです。

■参考:パンチカードと1980年代初頭のOS入門のテキスト(初版は1972年)
カード1枚(1行)80桁~実効入力桁数は72桁。
ハードスペックの制約で今では考えられないプログラミング。これが今に続くレガシーシステムの源流。
この写真の中のプログラムは、今のZ/OSマシンでも動く。


渡辺 幸生(わたなべ さちお)
株式会社ワタナベジョブズ
代表取締役


1983年高専の情報系学科を卒業後、大手製造業へ就職。主に事業部門やその関連会社で、業務部門側でシステム開発、運用・保守に従事。退職前の約10年間は、レガシー系基幹システムのデータ分析基盤構築、BIツールの導入・活用・社内展開を実施。2022年退職。
2023年、株式会社ワタナベジョブズ 代表取締役就任。
http://www.watanabe-jobs.com

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