ジャパンデータストレージフォーラム(JDSF)理事 落合 正隆
前々回と前回では、2回に亘ってAIの歴史を振返ると共に、その行く末と人類との関係について思いを馳せて見ました。筆者は、シンギュラリティ論に対しては懐疑的な立場で、人類とAIは調和的共存が可能だと信じており、それが結論でもありました。
今回は少し視点を変えて、広義のICTが私達の生活にどんな関わりを持ち、今後どんな世界を見せてくれる可能性があるのかを、少し考えてみたいと思います。
AIは果たして人間の仕事を奪うのかという議論に対しては、否定的な立場の筆者ではありますが、過去にICTが幾つかの専門職を無意味化した(職を奪った)という事実は確かにありました。
例えば、筆者が社会人になったばかりの約40年前には、和文タイピストという専門職があり、技能検定までありました。検定が廃止されて久しいので、ご存じない方も多いと思いますが、当時は日本語ワープロなるものは影も形もなく、オンデマンドで和文を活字印刷する唯一の手段は、和文タイプという機械装置を使用する事で、そのオペレーターが和文タイピストと呼ばれる専門職でした。和文タイプは、小型汎用機種でも大抵は2,000を越える漢字を含む活字から、適切な文字を探して一文字ずつ打込んで行かなければならないため、かなりの技能が必要とされたのです。
ご存知の通り、日本語ワープロは専用機を経て、今ではパソコンのアプリケーションの一つとして、誰でも気軽に使えるものとなり、結果として和文タイプはその存在意義を失い、同時に和文タイピストという専門職も絶滅を余儀なくされた訳です。従って、この事実はICTが人間の仕事を奪った事例に見えるかも知れませんが、冷静に分析してみると、和文タイピストという特殊な技能を持った一部の専門職にしかできなかった仕事を、ICTが誰にでもできる仕事に平易化したと見做すべきではないでしょうか?繰返しになりますが、仕事を奪ったのではなく平易化したと理解するべきではないでしょうか?
もっと一般的に、ビジネスパーソンの業務全般はICTにより効率化され、著しく生産性が向上したといえます。再び筆者の記憶を辿りますと、約40年前のビジネスパーソンの身近に存在していたビジネスツールとしてのICTは「電話」と「コピー機」のみでした。
筆者は当時某外資系コンピューターメーカーの営業をしていましたが、少なくない時間を社内外との電話に費やし、外出時にはホワイトボードの予定表に外出先を書込むと共に、定規と鉛筆で作成した週間予定表をコピー機で複写し、手書きで予定を書込んでデスクの上に置き、上司はそれで筆者の行動を管理していました。初めて訪問したお客様には手書きのお礼状を送り、他部署への正式な依頼は手書きのメールで行い、重要な会議の後は手書きで議事録を作成し、関係者全員にコピーを配布しました。お客様に提出する提案書も基本は手書きで、特に重要なものに限って、上述の和文タイピストに依頼して活字化していました。
以来、FAX、ワープロ、パソコン、通信ネットワーク、電子メール、表計算ソフト、プレゼンソフト、ポケベル、インターネット、携帯電話、スマホ、タブレット、等、等、等、、、様々なICTツールが出現し、ビジネスパーソンの生産性向上に貢献して来ました。
また、現状の「特化型AI」で華々しく自動化が進む領域として、1つの分野の知識でのみ習熟が求められる「スペシャリスト」即ち、弁護士、会計士、司法書士、社労士、税理士等の資格取得が難関で高給な士業や、通訳業務等を先月示しましたが、これらの専門職も「特化型AI」というICTに仕事を奪われるのでしょうか?
確かに資格と知識のみに胡坐をかいていればそうなるかも知れませんが、何れの専門職も最後は人間対人間のコミュニケーションに行着き、実はそこに最大の付加価値があります。その事に気付けば、AIを含むICTをツールとして駆使し、生産性を向上できます。以前、筆者の知人の社労士が、士業の「士」は武士の「士」でクライアントの利益ために専門知識を駆使して闘ってこその「士」業だ、と誇らしげに語っていたのが印象に残っています。
2020年東京オリンピック・パラリンピックを控えてパラスポーツが注目される様になっていますが、同時に障害者と健常者が自然に共存できる社会を目指そうという機運も高まりつつある様に感じます。健常者にも個性という名の得手不得手がある様に、障害は不得手であり、それを補って余りある得手が必ずあるはずです。この様な考え方が自然に受入れられる社会の実現にもICTは貢献できます。
2018年3月14日に、車椅子の物理学者として著名なスティーヴン・ホーキング氏が亡くなりました。ご存知の方も多いと思いますが、氏はALSを患っていて、晩年はほとんど体を動かす事はできず、喋る事もできませんでしたが、意思伝達のために重度障害者用意思伝達装置というICTを駆使した機器を使っており、スピーチや会話では合成音声を利用していました。氏は明らかに並の健常者が足元にも及ぶ事ができない知の巨人でしたが、それはICTのサポートがあったからこその自己表現でした。
最後にもう一つ、ICTが障害者と健常者の共存に貢献した事例を示します。
総務省の調査によれば、スマホを含む携帯電話の保有率は95%に達しており、災害発生時には重要なコミュニケーションの手段となります。しかしながら、聴覚に障害を持つ方達にとっては、電話はコミュニケーションの手段となり得ません。そんな時LINEが非常に役に立ったそうです。単なるメッセージの交換だけではなく、テレビ電話の機能を使えば、手話による会話も可能だったそうです。
筆者は、長年ICTに関わって来た者の一人として、社会に貢献できてこそのICTだと信じています。今や人殺しの兵器にもICTは駆使されていますが、全ての人がありのままに自己表現できる社会の実現に貢献する事こそがICTの本分ではないでしょうか?
落合正隆